バレエと音楽性

クラシックバレエにおける音楽性とはどのようなことだろうか。

音楽性があるとはどういうことだろうか。

少なくともカウントに合わせるというような単純なものではないだろう。

そんなことをしたら音楽はただのBGMになってしまう。

さらに言うと音楽なんて無くて良い。

なぜそこに演奏家が必要になるのか。

そもそもなぜそこに音楽があるのか。

音楽が鳴っていることが当たり前になり過ぎて音楽のことに興味を持てないことも現実にはあるだろう。

または時代がフィジカルの方に行き過ぎて音楽が置いてけぼりになっていることもあるだろう。

ダンサーもまた音楽を表現する以上、他の演奏家達と同様に同じ音楽を奏でる音楽家の一人なのだから、同じ音楽を演奏する者同士、音楽についてもっと知ること、興味を持つことが重要ではないだろうか。

 

そう考えた時、現在数あるバレエレッスンの中で、それを理解し、考え、実践している教師、またはダンサーはどれくらい存在するのだろうか。

 

「音楽に合わせて動いて」

「音楽を良く聴くように」

 

そう語る人たちのどれほどが音楽のことを理解しているのだろう。

音楽は感じるものである。

けれど音楽は学べるものでもある。

長い歴史の中で築き上げられ崩れることなく守られてきた寸分違わない建築物のように音楽もまた存在しているのだから。

想像力豊かな音楽表現を行う為にまずは音楽の基礎、基本を学ぶこと。

かつてバレエ団在団中、ゲストティーチャーで来日された元オペラ座バレエ団エトワールのJean-Guillaume Bart氏はこう語っていた。

「バレエは数学だ」と。

その言葉の意味は「全てのパはクリアで無ければならない」といった意味ではあったが、今個人的に思うことはそれに付け加えて「その音に置かれるパもまた数式の美しさのように配置、配列されているものである」といったことでもあると思う。

そしてそのように音楽にそのパの動機の全てが含まれているならば、役作りなどと言って無いものをまるで在るかのように振る舞う必要も無くなるのではないかと思う。

音楽表現という領域はそれを余裕を持ってコントロール出来るようになった先に生まれるものだろう。 

 

嘘を付かないこと。

 

それもまた日々の音楽との向き合い方によって訓練される表現の一つである。

クラシックバレエはオーケストラと共にあるのだからとてつもないパワーを持って挑むべきものであろう。

小手先の顔芸のようなもので誤魔化さない為にも日々のトレーニングを積むこと、音楽と共に歩むこと。

もっと自分自身のパフォーマンスに対して貪欲に、求めていくべきだろうと思う。

でもそれは大袈裟なことではなくちょっとしたことでもある。

視野を広げること、深めることで自分の周りにある世界の全てが変わるのだから。

引き続き音楽とバレエについて考え、深め、実践していきたい。