舞台公演や発表会での本番、またはコーチングでバレエのヴァリエーションを見ていていつも思うこと。
「その振り通りにする必要性がどこまであるのだろうか」ということ。
今上演されている作品のオリジナルの振付はもちろん古典作品として守り繋いでいく必要性は語るまでも無く十分にあるだろう。
プロのカンパニーではそれを未来に残す作業もまた大きな仕事の一つであろう。
けれど発表会であればどうだろうか。
基本的にヴァリエーションはプロダンサーが踊ったとしても大変なスキルを要するものになっている。
音楽と共に作られた動きは相当な訓練を積んだ者でなければ再現することは困難だ。
それは例えば他の楽器の演奏になぞらえてみれば容易に想像が付くだろう。
単純に言うならば「無理」である。
でもその「無理」という言葉は「プロダンサーと同じ振付でその音楽を演奏するのが無理」という点でしかない。
ここで最も重要なことは振付の再現が行いたいのではなく、音楽の表現を行いたいという点である。
振付というのは音楽を表現するある一つの可能性でしかない。
その音楽を聴いた時、どのようにそれを身体で表現したいか。
どの動きに乗せたいか。
それは人それぞれのスキルに応じて変えて良いものではないだろうか。
音楽性のないダンスをダンスと呼べるだろうか。
音楽はBGMではない。
壮大なカラオケでもない。
音楽と共にある為のダンスを伝えていきたい。